7月21日

「がんばっぺ南三陸」

 阪神大震災の時、私は政調会長でしたので震災後すぐに「三宮」へ鈴木幹事長とともに出かけました。そのときはまだ焼け焦げたにおいと細かいほこりなどで、もう少しマスクなどを用意をしてくれば良かったと感じていました。
 たまたま、震災後の選挙で中学校の同期生が神戸の市会議員に初当選したので、当時の同級生が集まり、義援金を集めて数ヵ月後に神戸を訪れた時はだいぶ落ち着いていたことが印象的でした。

 今回の3・11大震災はボランティアに行く機会を探していたのですがなかなか実現せず5か月が過ぎました。
 世田谷区の職員も南三陸町に1チーム10名で2チーム・本部員2名の体制で9月までAからLまでのチームが町を応援しています。
 写真のメンバーで「南三陸町」に入りました。議長の後藤清喜さん
 副議長の西條栄福さんから震災当時の事・時間の経過による町の状況・これから町の再建などをお伺いいたしました。
 地方自治体だけではどうすることもできない国の責任で、早い対策をしなければならないのに・・歯がゆい思いをしました

写真をクリックすると大きな写真がご覧になれます。

7月18日

「暑いですね」

 連日の暑さに少々まいっています。
 多聞小学校の「多聞こども祭り」・お向いの町会の盆踊り大会など地域の行事が目白押しで、へばっては居られないない状況です。
 そのような状況の中「文教常任委員会」の視察に行ってきました。佐賀県の武雄市・福岡県小郡市などの不登校対策、「武雄市MY図書館」等思った以上の成果があったと感じています。次回の文教常任委員会で参加者にレポートしてもらいます。
 自分は、小郡市の「のぞみがおか生学館」のスタッフの頑張りがとくに印象的で、地域の方とのつながりもしっかりとしたいいところだと感じました。(またあとでレポートをまとめたいと思います。)
 団解散後は、宇佐神宮に行ってきました。(全国の八幡神社の総本宮)どうしても行ってみたいところでしたので、時間があまりなかったのですが頑張ってみました。

7月16日

「ゴミゼロデー」

 世田谷区議会では議会ごとに広報を出しています。各会派の代表質問・議員の一般質問をなど載せているのですが、紙面の都合で要約されたものを出しています。質問事項の多い時はその中で各議員が大事な質問だと思うものを選択しています。
 広報小委員会の正副座長がある程度まとめたものを、各議員に質問内容を見てもらい訂正・修正があれば内容に変化がなければ広報小委員会の結論として議運に上げます。
 私は広報小委員会のメンバーになったのは初めてです。少々戸惑いはありますが、もう一度皆さんの質問に目を通せることと、答弁の内容を確かめることができ良いことだと思っていますが、質問者の思いがきちっと答弁者に伝わらないことが時々あることと、質問のねらいがはっきりしないこともあるみたいです。
 今回は区長答弁が質問の内容から、御自分の気持ち・区としての方向など、どこを答弁のメインであるか、聞いている方も結論が何であったのか迷ってしまうお答えが多かったのではないか、そのために、会議が長引いてしまったようですが、私は、結果として各委員の思いがそこに表れて話ができたので良かったと思っています。しかし、毎回広報小委員会でもんでいくものではない、別な場所でじっくり検討していくことが大事です。

 お話はゴミゼロデーです。センターを中心に毎年2回ゴミゼロデーを池尻4丁目も実施いたします。
 今回も、大人88名小学生56名その他役員など多くの町会員に参加をいただいて、町内の隅々まで清掃活動を行いました。終了後は、恒例のスイカ割り、皆さんいい汗を流しました。
 (緑道はお陰様で毎日近所の方が清掃をしたり、草ぬきをしてくださるので気持ちのいい状態です。特に池尻近辺は1日に3000人〜4000人の方が通勤・通学そして散歩などに利用をしてます。)
 いつもありがとうございます。

7月1日

「佐原2」

 6月19日の千葉日報の記事の一部から。

「香取市立佐原中学校で18日、大震災による液状化で使用できなくなった木造校舎の荷物などの運び出しが行われた。生徒や保護者400人が参加、久しぶりに入った懐かしい校舎で協力しながら作業を進めた。
 木造校舎は震災前までは、特別教室棟として技術室に利用されていたが、「半壊状態」と判定され、市教委は現在解体の方針を打ち出している。この日は技術科関係の道具や木製机の他、荷物などを保護者らが外に出し生徒が現校舎に手分けをしながら運んだ。」

 この後に木造校舎時代に生徒だった保護者の名前が載っていましたが、多分・・・生徒ではないかと思います。
 早く落ち着いて授業ができるといいのですが。